大切にしていること

後藤回漕店の特色

(1)伝統経営/伝統の堅持と確信

明治10年の創業以来、経営トップの崇高な経営理念は、長年にわたって蓄積された経験的技能を加味して伝統的社風を生み出しました。その結果、堅実、迅速な輸送を実現して御得意先の要望にこたえ、絶大なる信用と信頼を得て今日に至っています。さらに伝統による強固な経営基盤の上に、新しい時代に即応した輸送システム並びに情報処理システムを開発して経営革新を遂行し、業界での確固たる地位を確立して産業界に貢献しております。

(2)総合物流業者としての基礎確立

近時における物流革新の波は貨物の輸送形態を大きく変貌させ、コンテナー化、高速化などSCM(サプライチェーンマネジメント)に対応した物流のロジスティックス化へと変転をみるにいたりました。当社は、これらに対応すべく輸送機構の改善、荷役の近代化、営業の多面的開発に努め、輸送の一貫体制を完備した、総合物流業者として躍進を続けております。

(3)海外に広がる営業網

海外建設現場までのプラント輸出の豊富な取扱経験を元に、優秀な海外業者をパートナーとして、国際的ネットワークを組み、戸口から戸口までの国際複合一貫輸送網を確立しております。特に東南アジア物流の拠点であるシンガポールには、現地法人として100%出資の子会社GOTO SOUTHEAST ASIA PTE LTD.を設立したのを初め、韓国ではGOTO KOREA CO.,LTD.を、台湾では後藤順風股イ分有限公司、中国ではGOTO BUTSURYU(SHANGHAI)CO.,LTD.を設立し、さらに香港ではHONG KONG GOTO BUTSURYU LTD.を設立し、東南アジアを中心としてワールドワイドに国際複合一貫輸送を推進し、お得意様のニーズに応えております。

後藤回漕店 百余年の歩み




1.まるまの誕生 1877(明治10)年
18771010日、創立者後藤勝造は、神戸町海岸通3丁目に 蒸気船問屋後藤勝造を開業しました。菱垣回船や樽回船といった帆走船の時代に鉄の船で石炭を焚いて走る蒸気船時代が来ることを察知して、ただの船問屋とせず蒸気船問屋と銘打ったことが、当時としては先見の明といわれたものでした。18824月、勝造は清国の天津領事館に貨物運送取扱の奉願書を提出するなど意欲的に商勢を拡大しました。1885年、郵便汽船三菱会社と共同運輸会社の貨客争奪戦が発生し日本郵船会社が誕生したとき傘下24(7階級)の中で最上級の「甲」ランク2店の内の一つとなりました。

2.台湾へ回漕業を拡大 1895(明治28)年~
日清戦争後、日本は清国から台湾を割譲されました。
台湾の豊かな地下資源と農産物に着目した勝造は、いちはやく新領地台湾に於ける回漕業開始の許可願を提出し、18958月、台湾における通商および回漕業を開始します。勝造は台湾に挿絵 が含まれている画像

自動的に生成された説明後藤組を設立し商勢を拡大しました。台湾民政長官後藤新平との関係は、台湾進出後の事業展開において一挙に結実することになりました。挿絵 が含まれている画像

自動的に生成された説明後藤組は、台湾総督府の阿片・塩・樟脳・煙草・酒の専売品の内、塩を除いた専売品の運搬を請け負い、阿片・樟脳については全島の輸送をほぼ独占しておりました、他にも台湾本土沿岸、日本と台湾との定期航路を整備し、青島、旅順、釜山などの大陸向けの航路設定など、逐次海運と台湾内の商勢を拡めました。特に明治30年頃、日本石油が台湾南部の苗粟、竹東方面に進出したとき、当社は同社の掘削機と資材の輸送を取扱いました。




1.株式会社への移行 1921(大正10)年3月25日
社業の近代化を図るため1921年3月25日、資本金8万円で株式会社後藤回漕店を設立、後藤鉄二郎が初代社長に就任しました。
1929年のニューヨーク株式大暴落や世界経済の恐慌で国内の恐慌も深刻化する中、全員が一致協力して堅実第一で乗り切りました。



1.戦時統制時代 1937~1945(昭和12~20)年
1937年、日本は戦時統制経済へ移行。
海運統制令、陸運統制令に続き、1941年には港湾運送業等統制令が施行され、各種各港1者の統合を強化する指導方針が打ち出されました。神戸港は特例として7社併立が認められ、当社は実績と伝統を買われて港湾運送業の企業集約の母体資格を取得しました。翌1942年、後藤勝一が二代目社長に就任しました。

2.戦時下の輸送より 1943~1944(昭和18~19)年
戦時下の1943~44年、当社は、日本石油川崎製油所の全施設を解体、台湾の高雄へ13隻の船で輸送しました。敵潜水艦が出没するなか、台湾の日通とも連携して一隻の沈没もなく完遂。これが1955年以降の海外プラント輸送の先駆けとなりました。

3.戦後の立ち直り 1945(昭和20)年~
2度にわたる空襲で焼失した神戸本社は、8月の終戦後、海岸通3丁目の社長宅空地にバラック建にて社屋を建設し営業を継続しました。

1946年6月、波止場町に社屋を建設。民間貿易の再開に伴って全面的に活動を始め、他方、再建築として倉庫の経営、荷役施設の整備、九州定期航路の開設など経営規模の拡充を図っていきました。
特に兵庫倉庫は、一般に倉庫の不自由な時代に大きな武器になりました。事務所が焼失した東京営業所も間もなく多忙に。新潟出張所も好況。幸いにして戦災を免れた大阪営業所は通関業の免許を取得、在阪大手鉄鋼メーカーや大手商社など新規荷主との取引が進展しました。

4.複合一貫輸送体制への移行 1957(昭和32)年~
1957年、他社に先駆けてプラント輸出の取扱を開始。特に1961年のインド・デリーの火力発電プラントでは外地に向けて駐在員を派遣、国内輸送も一括して行いました。輸送から現地業務まで含めた長期滞在の一貫輸送でメーカーのメリットを図るのがプラント輸送の真髄です。取扱実績は北欧、アジア、北・南米、中東、アフリカ…「日本のまるま」から「世界のまるま」への飛躍です。

5.まるまグループの誕生と連携 1971(昭和46)年~
1970年代は、物流・流通業界を筆頭に産業経済界にイノベーションの波が押し寄せました。
そこで1971年1月、後藤系列と関連12社は、まるまグループ協議会(のち藤交会と改称)を発足、相互協力や活動の調整、協同研究などを行うことでグループの強化進展を図りました。

6.創業100年 1976(昭和51)年 10月10日
1976(昭和51)年10月10日、当社は創業から数えて100周年を迎えました。記念式典での後藤勝一社長の挨拶要旨は次のとおりです。
本日、この日を期して百年前同月同日と同様の気概を以て新しい時代に向かって邁進していただきたい。吾々は創立者の不騙、不犯、不奪(だまさず、おかさず、うばわず)の精神を再確認し、遵守していかねばなりません。

7.電算ネットワークの構築 1980(昭和55)年~
営業、業務、通関、倉庫貨物管理に連動した電算システムを構築し業務の効率化を推進。いち早く得意先とのオンライン化による顧客サービスを開始。
さらにまるまグループ各社とのネットワークを拡充すると共に、税関の情報処理システム(NACCS)と自社システムを連結させるなど、社内外との電子データー交換(EDI)を実現しました。


令 和

1.神戸港における主力拠点の構築 1985~1990 (昭和60~平成2)年
六甲アイランド事業所を建設併せて雨天荷役及び、コンテナーシャーシ14台据付可能な高床式倉庫を建設。
又、引き続き同事業所に多目的利用のできる六甲第2倉庫を増築し、神戸港における港湾運送事業の主力拠点としました。

2.国際物流ネットワークの各充 1988~1997(昭和63~平成9年)年
全世界の優秀な海外事業者をパートナーとして、国際ネットワークを組み、国際複合一貫輸送体制を確立しました。特に、東南アジアでは、シンガポールに現地法人としてGOTO SOUTHEAST ASIA PTE LTD. 韓国にGOTO KOREA CO.,LTD. 台湾に後藤順風股份有限公司、フィリピンにGOTO LOGISTICS INC.を子会社として設立。又、香港、上海に駐在員事務所を開設し、東南アジアにおける物流業者としての地位を不動のものとしました。

3.システムの整備と施設の整備・拡充 19982004(平成10~平成16年)年
当社で開発したB/L情報システムを一般へ販売。また関西IT活用企業百選の優秀企業に選定される等、コンピューターの有効活用による省力化等を推進しました。また第四倉庫、六甲第一倉庫、六甲第二倉庫に雨天荷役用増設庇の設置。源兵衛ビル改修工事等を実施しました。

4.海外拠点の拡充 20042024(平成16~令和6年)年
中国に、後藤物流(上海)有限公司、香港後藤物流有限公司、ベトナムにホーチミン事業所、GOTO VIETNAM CO., LTD.オランダにGOTO EUROPE B.V.、フィリピンにGOTO PHILIPPINES LOGISTICS、タイにバンコク事業所、GOTO(THAILAND)CO., LTD.、インド駐在員事務所、等の事業所・現地法人を新たに設立し、海外ネットワークを一層拡充させております。

5.国内拠点の整備  20082024(平成20~令和6年)年
本社社屋、摩耶梱包倉庫、水島第一倉庫及び武蔵小杉独身寮を新たに建築しました。

まるまグループ

拠点一覧 (国内・海外)

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